今から6年前、20年付き合っている友人Tと遊びの拠点を国内から海外に目を向けた事が始まりで韓国にはまる事になりました。但し最初の目的地は韓国では無く、中国を考えていました。
しかし友人Tの意見とネットやその手の本で情報を収集している内に、ビギナ-な私達には、韓国が最も相応しい国と考え直し、韓国行きを決めました。
今考えてもこの時の選択は、決して間違えでは無かったと思っています。物価が高い事を除けば、全ての面で私の思考に当てはまった国です。食べ物や文化は元々隣国なのだから似ていると言えば当たり前なのですが、それ以上に日本には無いアガシ文化が存在していた事で、その後私の人生を大きく変える事になりました。
初訪韓で仁川空港に到着したはいいが、ソウルまでの交通手段も判らない状況だったので、手っ取り早くタクシ-に乗り宿泊先のホテルを継げました。タクシ-に乗り高速道路から見た町並みは、日本で目にする風景と変わらず、漢字がハングルになっただけの印象でした。
タクシ-は高速道路からソウル市内に入りミョンドンの繁華街を抜けてホテル前まで行きましたが、繁華街では大勢の人が歩く中、平然とタクシ-が走り抜けるのに、当時は本当驚きました。
ホテルに到着後ボ-イに部屋を案内され、荷物を置いて一息付こうと思っていたが、一向にボ-イは部屋を出て行く兆しがありません。どうやらチップが欲しいのかと考え5000ウォンを差し出しましたが、ボ-イの目的はチップではなく、アガシの斡旋でした。
流暢な日本語で、まるで保険の介入の様に熱心にシステムや料金を説明してくれました。この時紹介受けたアガシが見事に大当たりだった事が引金となり、今ではアガシNETを運営するまでになりました。もしその時に当りを引いていなければ、中国にくら替えしていたかもしれません。
人間の運命何て、たった一つの出会いで大きく人生が変わってしまう事もあるんですね実際に・・。
3回目訪韓では、その後ウィルスの感染が決定的となるアガシと出会います。まだまだ韓国デビュ-し立てだった事もありで、アガシに対して免疫が少なかった私にとって、そのアガシに熱くなるのは訳がありませんでした。その頃は月1回のペ-スで訪韓しましたね。あ~今でも想い出しますダヘーちゃん♪^^;
その後も訪韓を繰り返し紹介やキ-センに没頭しましたが、どうしてもダヘーちゃんと比べてしまいます。1度体験してしまった素晴らしいひと時が体内に浸透してしまい、少しの快楽では満足出来ない状態になってしまいました。
これが正真正銘のアガシウィルスと言う訳ですね。人間の欲望とはそんなもので、ハ-ドルがどんどん高くなってしまう・・・欲望とはエンドレスなんですね!
寂しい事に、次から次へアガシをはずしまくって一時はどん底状態が続きました。帰国時の空港ではもう韓国は辞めよう!と思いつつも、いざ帰国して家路に着くと次の訪韓の日程を考えながらカレンダーを見つめていました。リベンジ、リベンジと自分自身に言い聞かせ!^^;
そんなこんなで初訪韓から1年が過ぎ、北の聖地ヨンジュッゴルにデビューする機会が訪れました。兼ねてより噂は耳にしていましたが、ソウルから数十キロも離れているヨンジュッゴルまで、伝も無い私がそう簡単に行けるものではありません。
あるサイトで知り合った、やはり私同様韓国にはまっていた方からヨンジュッゴルまでの行き方を教えてもらい、冷や汗タラタラ状態で何とかたどり着く事が出来ました。途中バスから見える景色が段々さびしくなってきて、本当に大丈夫なのだろうかと!かなり焦りましたけど・・・・。
初めて訪れたヨンジュッゴルは、やはり北の聖地と呼ぶに値する究極の世界でしたね。規模の大きさ・アガシの人数・初めて体験したアナル舐め攻撃などの郡を抜いたサービス・若干ソウル市内の置屋に比べアガシの質は見劣りするが、田舎の香りを漂わせた素朴間が私を虜にしました。
何と言えばいいのでしょうか?日本では味わえないディープな感覚が病み付きになった事が原因でしょう。ただサービスがいいからの理由だけでは、ここまで嵌まる事は無かったと思います。
ヨンジュッゴルでは宿泊もかなりしました。朝アガシが店を終えて部屋に戻って来てからのハメハメは何とも言えない楽しさがありました。エロエロモードと言うより、親しみ感溢れるハメハメが良かったですね~!
一緒に食事してそのまま夕方までアガシと寝てしまった事も幾度かありました。このころにはヨンジュッゴルの中でもかなり有名な日本人として君臨していたので、多少の事はアガシも店の主人も許してくれました。
実は体験日記の「置屋のアガシとプライベートで」もこのヨンジュッゴルのアガシでした。知り合ってからもう4年近くなりますが、今でもいい付き合いが続いています。しかし考えてみれば実に不思議な関係です。金海のアガシの実家で両親や弟と会い、光陽にあるアガシのアパートに何度か泊まり、日本では私の家で宿泊させました。
私の韓国語のレベルでは大した会話も出来ないのに、よくここまでの付き合いが成立したと自分でも関心します。
ヨンジュッゴルに行き始めてからは、紹介アガシやキーセンでは遊ばなくなりました。置屋のアガシと仲良くなって、いつか日本に呼び寄せたいと願望を抱きましたが、思っていたより早く願いが叶ってしまった事で更なる願望が芽生えてしまいました。
2004年秋に皆さんもご存知の通り、韓国では売春に関する法律が改正されてしまい、この法律によって一番ダメージを受けたのがやはり置屋です。しかし私にとってこの法律は、皮肉にも願望を叶える追い風になりました。
今私の恋人はヨンジュッゴルから足を洗ったアガシです。法律改正を期に故郷に戻り、その時私が1度日本に呼び寄せました。日本に来た事で日本に関心を持ち、日本語を勉強して日本に短期留学に来て、この春正式に就学ビザを取得しました。
私が韓国に行き始めて6年、右も左も判らない手探り状態から、今では韓国人の恋人と一緒に生活するまでになりました。訪韓暦も50回を越え、幾度も挫折感を味わい、高い授業料も払った事もありますが、願望が現実になった今、やはり私にとって韓国は天国ですね^^・・・
そして皆さんにとっても韓国は天国になると信じています。まだまだ夢のある国なんです!
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